利き手の壁

昼食の配膳中、「お箸ください」と声がかかった。「出してませんでしたか、すみません」ふと顔を見ると、初めましての患者さんだ。言葉がたどたどしく、右半身に麻痺があるよう。そうだ、朝の申し送りで十時入院の患者には脳梗塞の既往があると言っていたっ…

禁断の果実

YOASOBIのキービジュアルを担当するなど人気のイラストレーター、古塔つみさんの複数の作品が“トレパク(トレースによるパクリ)”したものではないかと騒動になっている。古塔さんの個展に行った人が展示・販売されている作品の中に海外の有名写真家やアーテ…

それは夕食のおかずになるか

「うそでしょー、もうこんな時間!」帰り支度をしていた同僚が悲痛な声を上げた。オペも検査もない日曜は早く帰れることが多いのだが、その日は日勤終了間際に緊急入院が二件あり、二十時を過ぎてしまった。彼女はこれからスーパーに駆け込み、夕食の準備を…

サクラサケ

いよいよ来週から、私立大学の一般選抜が始まるらしい。子どもが遠方の大学を受験するという同僚が、前日に泊まるホテルについて話していた。そうそう、ホテルの玄関に“○○大学受験生御一行様歓迎”という札が掛かっているのを見かけるよね、と思いながら聞い…

「お酒を飲めない人は人生半分損」論

出勤したら、ナースステーションの机の上にミネラルウォーターのペットボトルが並んでいた。どうしてこんなところにと思っていたら、「中身は水じゃないよ」と夜勤明けの同僚。え、「富士山の天然水」じゃないの?「それ、全部お酒」と言うからびっくり。夜…

ペットの不幸と喪中はがき

同僚の話である。毎年かならず元日に年賀状をくれる知人から今年は届かず、体調でも悪いんだろうかと気にしていたら、しばらくしてはがきが届いた。十二月に長く飼っていた犬を亡くし、新年のあいさつを控えていたことを知らせる内容だった。会ったこともな…

好きこそものの……

ある作家のエッセイを読んでいたら、自身のブログについての話があった。ひと月のアクセス数が三百万を記録したとある。パソコンが苦手で、これまでも人に勧められて何度かwebサイトをつくったもののつづかなかったはず。でも、今回のブログは順調に更新して…

青春の後味

私はいま、電車とバスを乗り継いで職場に通っている。そのため、「どうして通勤に小一時間もかかるところに就職したの」と同僚によく不思議がられる。たしかに、スタッフの多くは車かバイクで通勤しており、自宅から三十分圏内という人がほとんどだ。病院は…

大門未知子にはなれないから。

女性患者の四人部屋を訪ねると、カーテン越しに世間話をしていることがよくある。そんなときは処置をしながら会話に混ぜてもらうことがあるのだけれど、今日はいつもと様子がちがった。部屋の入口で「失礼します」と声をかけた途端、話し声がぴたりとやんだ…

お里が知れる

年下の友人が派手な夫婦ゲンカをしたという。発端は、保育園に通っている子どもの食事中の行儀がよくないと先生に指摘されたこと。「大人がしていることを見て自然にマナーを身につけていくことも多いので、お父さんお母さんがお手本になって、声かけしてあ…

困った贈り物

電車の中で、年配の女性二人の会話が盛り上がっていた。息子夫婦がマンションを購入したため押し花を額に入れたものを贈ったのだが、飾ってくれているのを見たことがない、と憤慨している。「押し花って、新聞に挟んでおけばできあがるんじゃないの。ガーベ…

二・五人称の死

私が勤務している病院は、複数の看護学校の臨地実習を受け入れている。実習には基礎、成人、老年、小児、母性、精神などさまざまな種類があり、学生はトータル千時間超という厖大な時間を看護師の指導を受けながら現場で履修する。そのため、私の病棟にもし…

関西人は一日にして成らず

病室を訪ねると、Aさんはラジオを聴いていた。先週も同じ番組を聴いていたなあと思い、「面白いですか」と尋ねたら、意外な答えが返ってきた。「実はね、話の内容、半分もわかってないのよ。この人たち、とっても早口なものだから」とおっとりと笑う。Aさん…

ばっちりメイクの文章

昼の休憩室で、「この一年、化粧品をまったく買っていない」とあるスタッフが言ったら、同意の声が相次いだ。「最低限の化粧しかしないから、ほんと化粧品代がかからなくなったね」「防護服着なきゃならないうちはまともに化粧なんかできないよ。汗でどろど…

クラウドファンディングと違和感

同僚の話である。彼女は一年ほど前に、クラウドファンディングで「訪問看護ステーションを開設したい」というプロジェクトに出資した。しかし、お礼のメッセージが届いてから活動報告があったのは数回で、春以降はなしのつぶてだという。計画では六月開設と…

和式トイレのレバー問題

膝の手術を控えた患者の自宅のトイレが和式であるとわかり、カンファレンスで「洋式に替えないと、家には帰れないね」と話していたときのこと。「それにしても、よくあの年齢まで和式でこられたなあ。私なんか、駅のトイレで和式が空いてても使わないよ。足…

日記サイトの寿命② ~それをしがらみにしないために~

※ 「日記サイトの寿命② ~二年の壁~」のつづきです。もうひとつの理由は、「人間関係」だ。日記書きの友人が「どのくらいの人が自分の文章をちゃんと読んでくれているか知りたい」と、めずらしいカウンタをブログに取りつけたことがある。一定の時間が経過…

日記サイトの寿命① ~二年の壁~

長くサイトをつづけていると、懐かしい人からメールが届くことがある。先日、「ご無沙汰しております」と連絡をくれた読み手の方とは十五年ぶりである。最後に話してからそんなに時が経っていたのか、とびっくりしてしまう。実生活が忙しくしばらく日記読み…

スーツに腕時計はマストか否か

友人の息子は現在就職活動中。オンラインで二次面接まで通過し、先日初めて志望企業に呼ばれたのだが、帰宅するなり「しくった~!」と頭を抱えたという。ほかの学生とともにその日のスケジュールを終え、ほっとした気持ちで人事部長の終わりのあいさつを聞…

「親ガチャハズレ」と言われても

「親」をしていたら誰でも一度や二度、「時間を巻き戻して、子育てをやり直したい」とつぶやいたことがあるだろう。しかし、同僚の思いはさらに切実で、子どもを生む前まで戻りたいという。多くは語らないが、彼女はずいぶん前から高校生の息子のことで悩ん…

「ベッド」ありの友人関係

「この期に及んで、“十年来の友人”って……。『二股かけてました。ごめんなさい』ってどうして素直に認めないんだろ」「『そっか、友だちだったんだね~』って納得してもらえると本気で思ってるのかな」「愛ちゃんのときも思ったけど、嘘ってバレバレの言い訳…

誰のためにも書かない。

同僚が重そうな紙袋をいくつも抱えて出勤したと思ったら、ハイと私に差し出した。中には漫画の単行本がどっさり。彼女は最近、これを大人買いしたという。せっかくの夏季休暇にどこにも行けない、誰にも会えない。ならばステイホームを堪能しようと、中学生…

私の知らない世界

手狭になったマンションから戸建てに移りたいと、半年前から家探しをしている友人がいる。彼女は最近、住宅ポータルサイトで理想的な物件を見つけたという。築年数、広さに間取り、駅までの距離、周辺環境、どれをとっても申し分ない。しかも予算内だったた…

ペットを理由に仕事を休めるか

夜勤明け、ナースステーションで朝の点滴準備をしていたら電話が鳴った。この時間にかかってくる外線はたいていスタッフからの急な欠勤の連絡だ。私が手を離せないのを見て、早めに出勤していた日勤の看護師が電話を取ってくれたのであるが、途中から相槌の…

悔いのない人生を送るために

その日、職場の休憩室は石橋貴明さんと鈴木保奈美さんの離婚の話題で持ちきりだった。若い同僚がネットニュースを読みながら「へえ、この二人、もともと不倫だったんですね」と言ったものだから、ここぞとばかりにアラフォー、アラフィフ世代によるレクチャ…

仕事は3K

十四時。同僚と二人、遅い昼休憩をとっていたら、彼女が腹立たし気に話しはじめた。新規入院の患者の着替えを手伝っている最中、どうして看護師になったのかとその女性に訊かれた。小学生の頃に好きだった漫画の主人公が看護師で、憧れたのがきっかけだと答…

「知りたい」と「知りたくない」のはざまで。

出勤して、時計やら計算機やらハンコやらを入れたポーチをとろうと個人ボックスを開けたら、プリントが一枚入っていた。「健康診断のご案内」という文字を見て、始業前から気が重くなる私。またこの季節がやってきたのね……。すると、同じようにプリントに気…

昭和は遠くなりにけり

患者のケアをしていたら、一年生看護師がカーテンのすき間から顔をのぞかせた。「蓮見さん、ちょっといいですか」と手まねきするので、急ぎの用かと思ったら、「〇号室のCさんに『チリシおくれ』って言われたんですけど……」と言う。「Cさん、痰がよく出るか…

「肩書き」はなにを語る

鮮やかな黄色の缶に大きな英字のロゴ。同僚が飲んでいるそれを見て、思わず「懐かしい!」と言ったら、ほかの同僚からも同様の声が上がった。「缶のカロリーメイトっていまも売ってたんだ」「何十年かぶりで見たわ。デザイン変わらないね」「カロリーメイト…

それは私の文章です。

※ 「盗まれたレシピ」のつづきです。 ある日、「お気を悪くされたら申し訳ありません」という件名のメールが届いた。うちのサイトに長く通ってくださっている方からで、冒頭に「お伝えすべきかどうか大変迷ったのですが……」とある。なんだろう?と思ったら。…