同窓会と大人の分別

同窓会に期待するものと大人の分別


夜勤で一緒になった同僚がインスタントのスープはるさめを食べている。夕食はそれだけだという。
「お弁当忘れたん?私、非常食持ってるよ」
「ちゃうねん、いま節制中やねん」
今月中に二キロ落としたいのだが、同居している親にバレないよう職場での食事を減らしているらしい。
あら、どうして内緒なの。
ゴールデンウィークに大学の同窓会があるねんよ。それでダイエットなんか始めたら、わかりやすすぎて恥ずかしいやん」

あはは、なるほど。……と相槌を打ってから、ん?看護大学の同窓会だったら女ばっかりじゃないの。
この十年で男性看護師は倍増したといっても、看護師全体に占める割合は一割に満たない。私が卒業した学校も男子は十人もいなかった。
「そうやねんけど、ひとり仲良かった子がおってん。その子は地元に帰って就職したからそのまま疎遠になってしまってんけど、こないだたまたま○○っていう病院のホームページで写真見つけてん」
“たまたま”ってことはないでしょー?というツッコミは我慢してつづきを促すと、その彼が職員インタビューのページで師長として看護観を熱く語っていたらしい。
「けっこうな規模の病院で初の男性師長になってバリバリやってるってわかって、ジーンときたというか。いい看護師になるやろうとは思ってたけど、すごいなあって……」

わかるなあ、それ。
私も大学のサークルの同期や先輩とはFacebookでつながっていて、投稿をよく読んでいるが、「生き生きしてるなあ、いい仕事してるんだろうなあ」と思う人がいくらかいる。
仕事関係の話題には同僚からいくつもコメントがつき、慕われ頼りにされているのがわかる。誰も肩書きなんか明かさないけれど、きっと出世しているんだろう。
そんな彼らはあの頃から「できる人」で、いまの姿が十分予想できたメンバーだ。「やっぱりな、さすがだね」と思うことはあっても、「へええ!あの○○君が?」ということはあまりない。

「あ、べつにやましいこと考えてへんからね!向こうはもちろん結婚してるやろうし」
私はなにも言っていないのに、先手を打って否定する。が、そのとき、彼女の顔がなんだかちがうのに気がついた。あっ、まつエクしてる!
「ちゃうちゃう、これは関係ない!たまたまキャンペーンで安くなってたから」
わかったってば。期待はするまいと思っていても、楽しみでしかたがないのよね。
ドラマみたいな展開にはならないかもしれないけど、LINEの交換くらいできたらいいね。

彼女を見ていたら、何十年かぶりに「ルンルン」という言葉を思い出した。
「ときめきっていいよね」と思う。キレイになれるし、なんでもない日々がキラキラするもの。
……とは思うけれど、あとにつづくのは「でもまあ、それより先はいいかな」。
いまから誰かと深く知り合って、好きになったり好きになってもらったり……というプロセスを想像すると、面倒くさくなるのだ。
飛行機で言うなら、滑走路を走り始めてからシートベルト着用サインが消えるまでの緊張感のある時間。そのふたりの始まりの部分が恋愛で一番楽しい時期かもしれないのに、
「でもこの頃ってカッコつけたり気を遣ったり相手の言動に一喜一憂したり、エネルギーいるんだよねえ」
が頭をよぎる。軌道に乗ってからもいい関係をキープするには努力がいるが、それも疲れそう。「だったら仕事してお金かせいでるほうがいいかな」なんて身も蓋もないことを考えてしまう。
いくつになってもリア充のカギを握るのは恋愛、という人もいるかもしれない。以前は私もそうだったが、いまは完全に「仕事」にシフトしている。幸せであるために「誰かを好きという気持ち」はマストじゃない。

とまあ、冷めた話をしたけれど、すでに知っている人が相手の場合はちょっと事情がちがうかも。
新たに出会った人とは互いを知るところから、まさに一から始めなければならないが、もともと好感を持っていたり共通の思い出があったりする人だったら“セーブデータ”があるから一足飛びに水平飛行に入れるような気がする。
それだったらまあ、いいかー。

なあんて冗談は置いておいて。
私も十五年に一回くらいの頻度で同窓会に出て、かつて付き合っていた人や片思いをしていた人と顔を合わせる。いまもすてきでいてくれてうれしいなあ、私って見る目あったんだワと思う。
だけどそこまで。相手がここまでに築いてきたものを知ると、迂闊なことはできないとつくづく思う。自分にも大切なものがある。
ときめき以上恋心未満に留める、どんなに懐かしくても、盛り上がっても。それが大人の分別、かな。


【あとがき】
私が出席する同窓会は大学のサークルのものだけ。この先もつながっていたいと思う人たちだから。ほかの同窓会も行けばそれなりに楽しめるんだろうけど、その場で思い出話をするだけっていうのはいいかな、と。
次回はサークル創立五十周年パーティーだから八年後か。ひゃ~、私何歳だ?



食べたことがない名物料理と幻のふぐ体験

食べたことがない名物料理


職場の休憩室に東京土産のお菓子が置いてあった。同僚が連休をとって旅行に行ってきたという。
「東京って意外と行く機会なくて、おのぼりさんしてあちこち観光してきたわ。月島で初もんじゃもしてきたで」
すると、すかさず「どんな味やった?見た目通り?」と声が上がり、「え~、見た目通りの味やったらイヤすぎるやん」と笑いが起こった。

関西ではもんじゃ焼きはなじみがなく、私の周囲では食べたことがないという人が多い。私は二十年ほど前に初めて食べたが、それまでは作り方も食べ方もわからない謎の料理だった(いや、いまも自分では作れないし、食べ頃もよくわからない)。
「けっこうな値段するのにおなかふくれへんねん。あれは食事?それとも軽食?」
と同僚が首をひねっていたが、もんじゃ焼きの位置づけについては私も疑問である。
あれでビールは飲めても、白いごはんはすすまない気がする。しかし、もんじゃ焼きだけでおなかを満たそうとしたらかなり高くつきそうだ。
あちらではどんなふうに食べられているんだろう。私にとってたこ焼きは「おやつ以上食事未満」で「昼ごはんならいいけど、晩ごはんにはならない」という立ち位置であるが、そういう感じなんだろうか。

そこから昼の休憩室は「食べたことがない名物料理」というテーマで盛り上がった。
ジンギスカン、ふな寿司、わんこそば、馬刺し、丸鍋(すっぽん鍋)、北京ダック……と次々と挙がる中、私が思い浮かべたのは「ふぐ料理」だ。

いや、正確に言えば、「ちゃんとしたふぐは食べたことがない」。ちゃんとしていないふぐなら一度食べたことがある。
ある冬のこと、てっちりというものを食べてみたくて大学時代からの友人A子と下関に出かける計画を立てた。同級生のB君があちらに住んでおり、接待でときどき使ういい店があるからと案内してくれることになっていた。
が、直前になって彼からインフルエンザにかかったと連絡が入った。私たちのことはやはり下関在住のC先輩に頼んであるから心配ないと言う。
それで私たちは急遽、Cさんにアテンドしてもらうことになった。
……のであるが。

雑居ビルのかびくさいエレベーターに乗って到着したのは、場末ムード満点のスナックだった。
きょとんとしている私たちに、「ここのママには世話になってるんだ」とCさん。
ああ、なるほど、紹介がてら私たちを連れて来たのね。そしてちょっと飲んだら、ふぐを食べに行くつもりなのね。
そっかそっかと席に着くと、昭和な髪型をしたママが「大学の後輩なんだってえ?」と言いながらやってきた。「あ、はい」と答えながら、私の目は彼女が手にしている一口コンロに釘付け。
まさかそれ、このテーブルに置いて行くんじゃないよな……。
ドキドキしていると、私の視線に気づいたママはにっこりして言った。
「ふぐは初めて?」

最初、私はそれが「てっさ」だとわからなかった。大きな丸皿に花の形に並べられていたのではなく、角皿に小山のように“盛られて”いたからだ。
しかも、ヘタをしたら一センチくらいあるんじゃないかというほど身が厚かったのである。ふぐの刺身というのは皿の絵模様が透けて見えるくらい薄く引くものじゃなかったのか……?
A子も同じことを思ったらしい。「これ、むっちゃ分厚ない……?」とつぶやいたら、ママは得意げに言った。
「でしょ。こんな厚いの食べさせてくれるとこ、ほかにないわよ」
なぜふぐは薄造りにするか。弾力があって身が固いため、厚切りだと噛み切れない。一度に二、三枚とって好みの歯応えにして食べられるよう薄くするのだと聞いたことがある。
私は心の中で「分厚いほうが得とかいう問題ちゃうやん!」とツッコんだ。

そんなふうだから、てっちりのほうも言わずもがな。まだ沸騰していない湯の中にふぐのあらをどかっと投入するママ。
ふぐというのは繊細な味らしいから、熱湯ではだめなのかしら……と一瞬考えたが、いやしかし、鍋の具材はふつう煮立ってから入れるものである。思いきって訊いてみる。
「あの、沸いてなくても入れちゃっていいんですか」
「蓋してたらすぐ沸くわよ」

しばらくしたら鍋がグツグツいいはじめた。するとママは、
「ふぐ鍋はね、ぽん酢をつけて食べるのよ」
とおごそかに言い、ミツカン味ぽんを私たちの前にゴン!と置いた。



のぞみに乗って出かけた下関で、私はふぐを数切れしか食べなかった。
味の問題以前に「このふぐ、まさかママがさばいたんじゃ……」と思ったら恐ろしくて、どうしても箸が伸びなかったのである(ちなみにA子もC先輩も生きている)。
そんなわけで、あれは私の中で“ふぐ体験”としては認定されていない。

後日、B君にありのままを伝えたら、「次はちゃんとしたのを食べさせてあげるから」と請け合ってくれたが、しばらくして彼は東京に転勤になってしまった。
ふぐ料理店はこちらにももちろんあるが、友人と会って「なに食べる?」「じゃあふぐ」とはならないし、家族との外食時もしかり。「ここまできたら、初ふぐは本場で」という思いもある。
で、そうこうしているうちに幾年……。あー、また鍋の季節が終わっちゃった。


【あとがき】
ふだん食べている家庭料理に好き嫌いはほとんどないんですが、名物と言われている料理の中には素材のイメージと見た目で「無理だあー」と思うものがいくつかあります。
たとえば、すっぽん。丸鍋をごちそうすると言われても断るな……。すっぽん料理のコースでは生き血が出てくるそうで、「ワインやジュースで割ってあるから意外と大丈夫だよ」と言う人がいるけど、おいしいマズイの問題じゃない。仕事で人の血を見るのは平気なんですけどね。