サクラサケ

サクラサケ


いよいよ来週から、私立大学の一般選抜が始まるらしい。子どもが遠方の大学を受験するという同僚が、前日に泊まるホテルについて話していた。
そうそう、ホテルの玄関に“○○大学受験生御一行様歓迎”という札が掛かっているのを見かけるよね、と思いながら聞いていて、驚いた。
この時期は「受験生応援プラン」があるホテルがたくさんあって、格安で広い机と電気スタンドのある部屋に泊まることができるのだが、ありがたいのはそれだけではないという。
試験当日のモーニングコール後に二度寝をしていないか“お目覚め確認”のサービスがあったり、昼用にカツが入った合格弁当が付いていたり、試験会場までバスで送迎してくれたりするところもあるそうだ。
へええ、受験生を全力でサポートしようとしてくれていて、うれしいじゃないか。
と思うと同時に、私の頃とは隔世の感があるなあと懐かしい記憶がよみがえってきた。

私の大学受験というと三十年も前の話であるが、私も前日に現地入りして試験を受けたことがある。
私にとっては「そこ以外行くつもりはない」くらいの本命の大学であったが、親は猛反対した。当然である。ある日突然、推薦で決まっていた地元の大学を蹴って一般入試で別の大学を受けなおすと言いだしたのだから。
「もし落ちたらどうするつもり?浪人なんてさせないよ」

反対される理由はもうひとつあった。
試験を受けるのに前泊しなくてはならないくらいだから、もしその大学に行くとしたら実家を出ることになる。しかし、当時女の子の一人暮らしは好ましくないとされていた。生活や交友関係が乱れているとみなされ、銀行には就職できないとか見合いで不利になるとか言われていたのだ。
でも、私はなんとしてもその大学に行きたかった。行かなくてはならなかった。とにかく受験だけはさせてと頼み込み、説得の続きは合格通知をもらってからすることにした。

私が泊まったのは歓迎札が掛けられるような立派なホテルではない。大学生協が斡旋していた受験生用の宿泊プランを利用したら民宿のようなところで、案内された十二畳くらいの和室には先客が荷物を広げていた。女の子四人の相部屋だった。
どこから来たの、どの学部を受けるの、本命か滑り止めか、どうしてこの大学を志望したの?
自然と自己紹介になったが、私は最後の質問をどう答えようかなあと思った。
一般入試の二ヶ月前になって進路変更をしたのは、われながらあまりにもバカげた理由だった。たった一晩の付き合いの人たちに正直に話して、「変わった人」と思われる必要もないだろう。まあ、適当に言っておこう。
……と思っていたら。うちの一人の「私がここを受けようと思ったのはね」を聞いて、仰天した。
「××っていう番組、知ってる?それで優勝した人がすっごくすてきな大学生だったの。△△さんっていうんだけどね、私、その人に憧れちゃって、ぜったい同じ大学に入りたいって思って」
たとえば、テレビで箱根駅伝を見て選手にひと目惚れし、彼と同じ大学へ行くという人が周囲にいたら、あなたは「正気か?」と笑うかあきれ返るかするだろう。
しかし、私の「えーっ!」はそのどちらのニュアンスとも違った。こんなことがあるのかと信じられない気持ちで、私は言った。
「実はね、私もなの……」

その人と正攻法で知り合うために、私はそこにいたのである。
でも、そんな理由で大学を選ぶバカモノは自分くらいのものだと思っていたから、本当に驚いた……のは彼女も同じだったようで、私たちはもう勉強どころではない。
「ねえ、いまから大学に行ってみない?」
「もしかして学校に来てたりして……!」

入試期間中は講義は休み。もちろん会えることはなかったが、食堂の入り口に積まれていた学生新聞をふと手に取ったら、なんという偶然だろう、彼のインタビュー記事が載っていた。番組放送以降、学内でも有名人になっていたらしい。
「夢は叶うものではなく、叶えるもの」
という彼の言葉に深く頷く。
そう、百万回神様に祈ったところで叶うことはない「彼と出会う」を実現するために、推薦を捨て、親の反対を押し切り、私はここまでやってきたのだ。
新聞はきれいに折り畳み、手帳にはさんで御守りにした。



私の入学が彼の卒業と入れ違いだったという計算外もあり、“再会”を果たすのに二年かかった。
名乗ると、その人は私の顔をじっと見て、「手紙をくれたこと、あったよね?」と言った。
「はい。高校三年のとき、受験前に送りました」
しかし驚いた。住所がわからなかったため、いちかばちか大学の学部事務室宛てに送ったのである。それがちゃんと彼の元に届いていたのだ。
「『後輩になって、会いに行きます』って書いたんですよ」
「覚えてるよ、便箋八枚。ファンレターは五千通もらったけど、あんな熱烈なんはちょっとなかったな」
でしょう?だってあれはファンレターなんかじゃない。

そのとき言われたことは、いまも私の軸になっている。
「気づいてるか?いまこの瞬間があるのはラッキーやったからやない、おまえが自分でつくりだしたんやで。それはすごいことやと俺は思う。ようここまで会いに来てくれたな」
私は初めて気づいたのだ。自分の願いを叶えられるのは自分だけなのだ、という当たり前のことに。

どんな途方もない夢でもあきらめないかぎり、可能性が潰えることはない。
「サクラはきっと咲く……いや、咲かせてみせる」
自分を信じてがんばれ、受験生!


【あとがき】
がんばりが実を結びますように。