日記サイトの寿命① ~二年の壁~

日記サイトの寿命①

長くサイトをつづけていると、懐かしい人からメールが届くことがある。
先日、「ご無沙汰しております」と連絡をくれた読み手の方とは十五年ぶりである。最後に話してからそんなに時が経っていたのか、とびっくりしてしまう。
実生活が忙しくしばらく日記読みから遠ざかっていたが、最近むかしのブックマークを開く機会があったのだそう。この日記がつづいていたことを知り、メールをくださったのだ。
「あの頃、自分がなんと名乗っていたのかも、どのメールアドレスを使っていたのかも忘れてしまいました」
とあるのを読み、この場所から離れなくてよかったとつくづく思う。もしサイトを移転していたら、再会できなかっただろう。

ところで、いただいたメールの中に「日記サイトが減りましたね」という一文があった。
二年半前、七年間のブランクを経て日記の読み書きを再開したとき、日参していた日記の多くが「ページが見つかりません」になっていたことに軽いショックを受けたことを思い出した。「浜に戻ったら、住んでいた村はなく知る人もいなくなっていた」という浦島太郎のような気分を味わったのだ。
十数年前、読み物系のサイトが集まるリンク集がいくつもあり、そこには熱心な日記書きがたくさんいた。書き手同士の交流が盛んでオフレポをよく見かけたし、日記の内容をめぐってバトルが勃発することもあった。「日記読み日記(他者の日記を日替わりでレビューするスタイルの日記サイト)」なるものがあったのも、魅力的な日記がたくさんあったからだろう。
あんなに書くことが好きで熱かった人たちはどこに行っちゃったんだろう、といまでも不思議な気持ちになることがある。



日記サイトの平均寿命はどのくらいなんだろう。
カップルは三ヶ月、半年、一年の区切りで別れやすいなんて聞くけれど、日記サイトにも閉鎖のタイミングは存在するのではないか。
私の感覚では「二年」が大きな境界線だ。それを超えれば、ちょっとやそっとのことではなくならない長寿の日記になる。しかし、二年の壁を越えられるのは二、三割ではないだろうか。
日記をつづけるのは決してたやすいことではない。なんて言うと、「どうして?好きでやっているんでしょ」と言われそうだが、趣味だからこそむずかしい。やめたって明日から食べていけなくなるわけじゃない。

閉鎖に至る理由やきっかけについては、いくつか思い浮かべることができる。
開設して半年くらいのサイトであれば、「思うようにアクセス数や読み手の反応が増えず、モチベーションを保てなくなった」が一番多いのだろう。しかし、何年も書きつづけている人がやめようと考えるときは「生活が変わり、そのための時間をとれなくなった」以外ではふたつほど心当たりがある。

ひとつは、「更新のプレッシャー」。
毎回くすっと笑わせてくれるあるサイトを訪ねたら、冒頭にいつもと調子の違う一文を見つけた。体調不良で何日か日記を休んだところ、「平日なのに更新してませんね」とメールが届いたそうで、日記の更新は仕事ではないので休むこともある、ちょっとむっとした、という内容だった。
読み手にそう言われて愉快でなかったのは、「更新をそう簡単なことのように言ってもらいたくない」という思いがあったからではないだろうか。
家庭や仕事を持つ人が毎晩パソコンに向かう時間を捻出するのは大変であるが、多くの書き手がさらに苦労しているのはネタの確保だ。それはティッシュペーパーのように一枚取り出せば次が待機してくれているということはない。
「『今日書くこと』を見つけるまで落ちつかない」
「投稿ボタンを押すまで軽くプレッシャーがある」
というのはとくに毎日更新を掲げている人からはよく聞く話だし、実際、読み手の期待に応えようと四苦八苦した跡の残る日記を読むと、大変だなあと思う。
なにかの拍子に「こうまでして書くことに意味があるんだろうか」が胸をよぎったら、もう踏ん張れなくなるのかもしれない。
(「日記サイトの寿命②」につづく)


【あとがき】
SNSで友人知人に向けて書く日記(近況報告)は長つづきする人が多いみたいですけどね。見知らぬ人に読んでもらうための文章をweb上に公開するというのは、まだまだマイナーな趣味なんでしょう。
ところで、いま私が属しているコミュニティでは、自分の文章を「エッセイ」と称している人が多いです。その定義は「形式にとらわれず自由に書いた文章」だから、たしかにそうなのだけれど、私は自分のそれを「日記」と呼んでいます。その名称が一番しっくりきます。
むかしはみんな、日記、日記と言っていたけど、もう「日記サイト」「web日記」という言葉自体、目にすることがなくなりました。