通知に気づいてラインを開いたら、めずらしいグループトークにメッセージが届いていた。
看護学校の同級生がつながる学年ラインであるが、たまに学校からイベントの案内が入るくらいで、ほとんど使われていない。いつのまにか退会している人もいて、「そうだよなあ、ここで近況を報告し合うでもなし、私ももう退会しちゃおうかなあ」が頭をよぎる。
そのグループラインがにわかににぎわっていたので、不思議に思った。そうしたら、「今月いっぱいで退職し、春から別の仕事をすることにしました」という投稿があり、それに対するメッセージが連なっていたのだった。
「いまいる病院をやめて、ほかへ行く」という話ならいくらでもあるが、看護師をやめて、ほかの職業に就くというのはあまり聞かない。だからみな驚き、心配し、中には再考を促すメッセージを送った人もあった。
でも、彼女はここで相談しているのではなく、すでに決めたことを報告しているのである。なにがあったのかはわからないけれど、「私には向いていないことがわかりました」という言葉から、彼女が自信を失っていて、その場所から離れたいのだということは伝わってくる。「ここまでがんばってきたのに」「せっかくの資格がもったいないよ」という声かけほど、いまの彼女に重荷になるものはないんじゃないか。
数日たっても彼女から応答はなかった。かわりにトーク上に表示されたのは、「〇〇がグループから退出しました」だった。
看護師をやめたいと思ったことは一度もない。しかし、これまでにしてきた仕事では経験したことのない種類のストレスがかかっていることは感じている。
そのうちのひとつが、死にゆく人をみるつらさ。そしてその、人として自然な感情を抑え込まねばならない場面での精神的負荷だ。
救急搬送された患者が多く入院している病棟であるため、死亡退院も多い。命の灯がだんだん小さくなっていくのを見つめているのはやるせなく、まだ生きてやりたいことのある人が迫る死に怯えて取り乱したり、家族を案じて涙を流したりする姿を見ると、胸が張り裂けそうになる。
“Not doing,but being.”
ホスピスの創始者シシリー・ソンダースの言葉である。患者が終末期になり、もはやすべきことがなくなったときに大切なのは「なにかをする」ことではなく、「そこにいる」ことなのだ、と。
しかし、これがどんなにむずかしいことであるか。食事休憩を二十分で切り上げて業務に戻るほど過酷なタイムスケジュールの中で、なにかをするためでなく、患者のそばにいるための時間を捻出することは不可能といっていい。
できるのは、仮眠がとれる落ちついた夜勤のときに病室を訪れることくらいだ。
真っ暗な部屋の中で、テレビの光が白々とAさんの顔を照らしている。
「眠れませんか」
「いろいろと考えちゃってね……」
私がベッドサイドのイスに腰かけると、
「夜は看護師さん少なくて忙しいでしょう。私は大丈夫だから、行ってください」
と言う。看護師を一人一人名前で呼んでくれるAさんは気遣いの人。だから、私はラウンド中をよそおう。仮眠時間だなんて知れたら、追い返されてしまう。
「今日はみなさん、よく眠っておられて。でもナースコールで呼ばれたら行きますから、心配しないでください」
PHSはちゃんとナースステーションに置いてきた。だから、私のポケットでコールが鳴ることはない。
Aさんがぽつりと言う。
「ほんと言うと、看護師さんの顔が見られなくなっちゃってちとさみしかったんだ……。ここは一人部屋だしね。ごめん、わがまま言っちゃいけないね」
Aさんは点滴漏れを起こしやすく、点滴中はしょっちゅう確認に行かなくてはならなかった。しかし、これ以上の輸液投与は患者の苦痛を増すだけだと、数日前にそれが終了になってからは看護師の訪室はぐっと減っていた。
「看護師さん泣かせの血管でしょ。点滴が漏れるたびにいろんな人が来て、針を入れ直そうとしてくれるんだけどなかなか入らなくて……。『ここ、いけるんじゃない』とか『いや、細すぎる』とか言いながら、みんなで血管探してくれて。最後は、蓮見さんが「“神の手”を連れてきます!』って言って、連れてきてくれた看護師さんが一発で入れてくれたんだったね」
「あれは見事でしたねえ。あの人はどんな血管でもルートを取れる“ゴッドハンド”って言われてて、この病棟の看護師じゃないんですけど、たまたまナースステーションに来ていたのをつかまえたんです」
「あのときは看護師さんが集まって、にぎやかだったなあ……」
目は閉じているが、口元がほころんでいる。
「あと三年も四年も生きたいなんてぜいたくは言わない。せめて一年、いや半年あったら、家内も心の準備ができると思うんだよ。ずっと二人で生きてきたからね……」
ホスピスに転院調整中だが、おそらく間に合わないだろう。Aさんも点滴が終了したのと同じタイミングで大部屋から個室に移動になった理由を察している。なぜ明日から妻の面会が可能になったのかも。
テレビの音にまぎれる嗚咽。手をさすりながら、一緒に泣けたらどんなに楽だろうと思う。あるいは、無念と孤独に必死に耐えるその姿から目をそらすことができたら……。
でも、私はもう学生ではない。別れの言葉に聞こえないふりをした、あのころとは違う(「最後の『ありがとう』」参照)。
「痛みや息苦しさを我慢しないでくださいね。奥さんとの時間を穏やかに過ごしてもらえるよう、私たちにできることはなんでもします。したいこと、してほしいことがあったら、いつでもコールしてください」
静かに扉を閉める。
じきに、薬を使って眠らせることでしか苦痛を取り除けないときが来るだろう。どうかそれまでにAさんが奥さんに伝えたいことを伝えられますように。できるだけ身軽になって旅立つことができますように。
「心がそばにある」ことも“being”。そう信じて、私は祈る。
注) 上記テキストは登場人物や状況の設定を変更しています。
【あとがき】
私はAさんに、「そこにいられなくても、私たちはいつも気にかけている」ことを伝えたかったのです。
Aさんの最期は眠るように……とはいかず、思い出すといまでも込み上げてくるものがあります。「家内のおかげで楽しい人生でした」という言葉。きっと奥さんに伝わっている、と思いたい。