自費出版と自己満足

自費出版と自己満足


最近、自費出版がちょっとしたブームらしい。
外出が減ったことで執筆の時間を持てるようになり、本にしてみようと考える人が増えた、とニュース番組の中でやっていた。出版件数はコロナ禍前の三割増だそうだ。
小説でも俳句でもイラストでも写真でも、出来はどうあれ自分にとってはかわいい作品。それらを一冊の本にできたら……と憧れる気持ちはよくわかる。私もこうしてweb上で文章を書いている身、それらを形あるものにして、その重みや紙の質感を感じながらページを繰って読むことができたらどんなにすてきだろうと思う。
ずいぶん前であるが、「あなたの原稿を本にします」という電車内の吊り広告を見て、出版社に話を聞きに行ったこともあるのだ。



日記サイトで公開していたテキストの中から二十話ほど選び、原稿用紙仕様にして出力したものを渡すと、出版プロデューサーという肩書きの女性は目の前で読みはじめた。手持ち無沙汰で待っていると、やがて彼女が原稿を机の上に置いた。
「いくつか読ませていただきましたが……」
ごくり。
「いいですね。とても読みやすいです」
お!
「短くて」
ぎゃふん。

いやいや、それはいい。私は文章が短いと言われたことに興味を持った。
読み手の方からは「年々文章が長くなりますね」と言われ、自分でも「これだけ長いと読むのに根気がいるよなあ。きっと斜め読みされているんだろうなあ」と思っていたからだ。
「短い、ですか?」
「そうですね。文庫本の見開きの片面に原稿用紙一・五枚分入るんですね。蓮見さんのは一話が原稿用紙六、七枚ですから、本にすると四ページ前後。さらっと読めちゃう量です」

なるほど、画面をスクロールしながら読むのと紙面の活字を読むのとでは、読み応えを感じたり読み疲れを起こしたりする文字数が違うのね。
と納得していたら、出版プロデューサーが言った。
「正式なお返事は審査会議の後になりますが、共同出版という形で問題ないと思います」
えーと、それってたしか、出版社が費用を半分負担してくれるのではなかったっけ。
「はい、共同出資での制作です。正確に言うと、制作費を著者の方に負担していただき、流通費を当社が持つということになります」
ふうん、折半ってわけじゃないのか。ま、そりゃあそうか、そんなおいしい話があるわけがない。

……とここで、ふと思った。
「流通っていうのは書店に並べるって意味ですよね?」
「そうです」
「素朴な疑問なんですけど、まったくの素人の本をどなたが買ってくれるんでしょうか」
仮にも出版相談に来ておいてまぬけな質問だと思ったが、しかたがない。卑下でも謙遜でもなく、本当に不思議なんだもの。
「たしかに、一般の方が書いた本というのはファンがいないのでむずかしいです。ただ、ターゲットを絞り込むことによって結果につながることはあります」
「ターゲットを絞る、ですか」
「そうです。蓮見さんの場合、読者層は完全に女性です、それも三十代以上の主婦。客層にこういった人たちが多い書店にピンポイントで展開するとか、装丁もこの層に訴求力のあるものにする必要があります。文字を若干大きめにしてもいいかもしれません」

「あなたの文章を読むのはこういう人」と断言されたことに驚いた。それに、ん?と思うところもある。
読み手の年齢層が高めであることは感じていたから「三十代以上」には頷くが、「女性」「主婦」というのはどうなんだろう。いただくメールの比率は男女半々なんだけどな。それに育児話皆無で恋愛話多しだから、どちらかといえば主婦よりシングルの女性寄りだと思っていた。しかし、出版プロデューサーの目にはそう映るのか。
自分の文章を第三者、それもプロから評価・分析してもらえる機会はそうあるものではない。これだけでも今日は来た甲斐があったと思った。

が、このあとにつづいた出版プロデューサーの言葉に私はどきりとした。
「売れる本にするために一番重要なのは、ターゲットの層から共感を得られる内容にすることです」
特定の読者層を狙い、その人たちが読みたいと思っているものを提供すること------これを聞いて、私は初めて気づいた。「書籍化する」と「(共同)出版する」はまったく別物なのだ、と。
何百というテキストをweb上にアップしてきたが、共感を得ようと思いながら書いたことはない。書きたいことを書きたいように、思ったことを思ったように書けるからこそ、書き上げたときの達成感や喜びがある。もし読み手の賛同を期待するようになったら、文章におもねりや計算が生まれ、そのうち私はなんのために書いているのかわからなくなるだろう。
しかし、共同出資で出版となるとそうは言っていられない。増刷までは期待せずとも、初版分は捌けると見込める程度には商品力が求められるため、出版社からの介入がある。たとえば、子どもを持つ女性からは受けがよくなかったが、自分ではよく書けていると評価しているテキストがいくつかある。そういうのは私が採用したいと思っても、「これは別の話に差し替えましょう」と言われるのかもしれない。

そうか、ほしいのは「商品価値のある本」ではなく「自分のこだわりの一冊」なのだ、という人は自費で本にするべきなのね。目から鱗が落ちた。
私が書籍化を考えたのは、それを宝物にしたかったから。だったら、自分が納得できるものにしなければ意味がない。
「他者を満足させようとする前に、まず自己を満足させること」
私には本づくりもサイト運営も同じだったのだ。

とはいえ、せっかく来たのだからやっぱり訊いておかなきゃね。
「ちなみに、共同出版だとこちらの負担はどのくらいになるんでしょうか」
web日記を書籍化している人はちょくちょくいるし、それほど高くはないだろうと思っていた。海外旅行を一回我慢したらいいくらいかしらん。
「細かい条件によって違ってくるんですが……」
「だいたいで結構です」
「そうですね、ざっと百五十万から百六十万というところでしょうか」
共同出版でこの金額ということは、自費出版となると……。すっぱりあきらめがついた私は、「今日はありがとうございました!」と元気よく席を立った。

という話をサイトに書いたところ、読み手の方から思いがけない情報が届いた。
そのおかげで、私は書籍化の夢を実現したばかりか、それを販売するという経験までできたのであるが、長くなったのでつづきは次回に。


【あとがき】
出版相談会にはほんの軽い気持ちで行ったのですが、とても勉強になりました。そのとき置いて帰った原稿は審査会議にかけられ、数週間後にその結果が届いたのですが、「作品の表現力、時代性、オリジナリティ、完成度、芸術性、本になった場合の公共性、読者獲得の可能性等を評価させていただきました」ということで、その内容が便箋五枚にびっしり。
なるほどと頷くアドバイスもあれば、えー?と驚くような分析もあり(たとえば、文章の特徴として「コミカルでかわいらしい文体」とあった)、プロの目にどう映ったのかを知るのも純粋に面白かったです。このレポートをもらえただけで、出向いた価値は十分ありました。
ちなみに、今日のテキストは四百字詰め原稿用紙で七枚半。文庫本にすると見開き二ページ半です。