うちの子になってね(後編)

うちの子になってね(後編)


※ 「うちの子になってね(前編・中編)」のつづきです。


ちょこんは二日二晩、三段ケージの中で鳴きつづけた。それも、一段目に置かれたトイレの砂の上に座り込んで。
猫は緊張や不安が強いとき、狭くて暗いところに隠れようとする。四角い小さなトイレは、ちょこんにとって与えられた環境の中ではもっとも安全を感じられる空間だったのだろう。
外では鳴いたことのないちょこんが、二日間飲まず食わずで外に出してと訴えた。それはそれは哀しい声で。
「ノミは駆除した。一回だけどワクチンも打った。最低限のことはしてあげられたから、もう放してやったほうがいいのか」
決して安易な気持ちで保護を決めたわけではない。でも、心が折れそうになった。

が、三日目の朝。目が覚めたとき、鳴き声がしていないことに気がついた。ケージを覆っている布をそっとめくると、ちょこんは三段目に敷いた布の上で丸くなっていた。トイレから出られたんだね……!
ふと見ると、エサ入れが空になっている。もしやとトイレを確認したら、おしっこシートが濡れていた。これでもう大丈夫。
その日からケージの扉を開放し、一部屋を自由に動けるようにした。すると、ちょこんは眠るとき以外はケージの外で過ごすようになった。タンスにのぼったり、押し入れに入ったり、窓際に座って外を眺めたり。人の動きには敏感で近寄らせてはくれないが、少しずつ「家の中」に慣れてきているのがわかった。もう背中をかゆがる様子はない。
野良猫は元気そうに見えても感染症のウイルスを持っている可能性があるため、十日間は先住猫と接触させないよう動物病院の先生から言われていた。その隔離期間が明け、対面したちょこんとくり坊(オス・当時九か月)はガラス越しに顔見知りだったためか、シャー!もフー!もなくすぐに仲良くなった。
ちょこんはくり坊について家中を探索し、何か所かお気に入りの場所を見つけると、日中はそこで気ままに過ごした。「おやつだよ」「ごはんだよ」と声をかけると、どこにいても戻ってくる。夜はリビングのソファの上で、くり坊とぴったりくっついて眠った。



あれから八か月。背中の毛はきれいに生え揃い、以前のようにツヤツヤだ。よく食べ、くり坊とよく遊び、元気に過ごしている。
人馴れのほうはというと、あまり進んでいない。ちょこんがうとうとしているときになでさせてくれることがあるが、抱っこはできない。だから、ワクチン接種などで動物病院に連れて行かなくてはならないときはもう大変である。
という話をすると、不思議そうに人は言う。
「それって家の中で野良猫を飼ってるようなもんじゃない。ろくに触らせてもくれない猫、かわいいの?」
「家庭内野良猫」と言われれば、なるほど、近いものがあるかもしれない。しかし、答えは「かわいい。めちゃくちゃかわいい」だ。
家族は私以上に触らせてもらえないが、それでも「ちょこんちゃん、ちょこんちゃん」と声をかけ、その様子を目を細めて見つめる。
癒されたくて、ちょこんをうちの子にしたのではない。「いつごろ初ゴロ聞けるかなあ」「いつか膝に乗ってきてくれるかなあ」と夢見ることはあるけれど、ちょこんが毎日元気で穏やかに過ごしてくれていたら、それで大満足だ。

ちょこんがじっと外を眺めているとき、「『あのころは楽しかったなあ……』とか思っているんだろうか」がちらと胸をよぎる。空腹や暑さ寒さはつらいが自由な外での暮らしと、退屈だけれどごはんと温かい寝床のあるいまの暮らし。もし玄関のドアを開けてやったら、ちょこんはどちらを選ぶだろう。
実は、それほど不安には思っていない。
保護して半年経ったころ、ちょこんが外に出てしまったことがある。ふと庭に目をやると茶色い猫がひなたぼっこをしており、「あら、ちょこんにそっくり」と思ったら、見慣れた“じゃがいもしっぽ”ではないか。うっかり脱走防止柵がついていない側の窓を開けてしまっていた。
声をかけたり近づいたりしたら、きっと逃げてしまう。だから、リビングの掃き出し窓を全開にしてそっとしておくことにした。ちょこんは帰ってくる、きっと帰ってくる……。
しかし、しばらくして二階の窓から庭を見ると、姿がない。
「『この暮らしもわるくない』と思ってくれてるんじゃないか、なんて勝手な幻想だったんだ」
ちょこんが望んだこととはいえ、またひとりぼっちで外で生きていくのかと思ったら、不憫で涙が出た。
が、リビングに戻ってびっくり。ちょこんがカリカリと音を立ててエサを食べていた。そして、食べ終えるとソファに飛び乗り、丸くなった。
なんの迷いもなくそうしたのを見て、胸が熱くなった。そっと窓を閉める。一時間と四十二分のお散歩はこれでおしまい。
「お外は楽しかった?おかえり、ちょこん」

人生がそうであるように、猫生にも「たられば」はない。
あなたの家はここ。あなたが幸せでいられるようにと------それはニンゲンの思う「幸せ」ではあるけれど------いつも考えている。だから、これからも一緒にいてね。
大好きだよ、ちょこん。

うちの子になってね(後編)



【あとがき】
ちょこんはくり坊が大好きで、一緒にいるととてもリラックスして幸せそうな顔をしています。外では少しの物音にもびくっとしていつでも逃げられる態勢をとっていましたが、いまはソファで堂々とヘソ天で眠っていることも。
そうそう、“じゃがいもしっぽ”についてですが、獣医さんに「もともとこういう形です」と言われました。なにかにはさまれてちぎれたのでも、傷から菌が入って壊死したのでもなくてよかった。初めて見たとき不格好だと思ったしっぽは、いまではちょこんのトレードマーク。