「オードリー・ヘプバーンってむちゃくちゃ可愛いですね。あの髪型が似合うってすごくないですか」
同僚が興奮気味に言う。なにをいまさらと思ったら、一昨日の金曜ロードショーで『ローマの休日』を初めて観たらしい。
そうか、二十代だとあの映画を知らない人もいるんだなあ……。
イタリアのローマを訪問中、過密スケジュールにうんざりして宮殿を抜け出したヨーロッパの小国のアン王女と、特ダネをモノにしようと職業を偽って王女に近づいた新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)のたった一日のラブストーリー。
身分違いの恋が成就しないことをふたりはわかっていた。だから互いに思いを口にせぬまま、ジョーはアン王女を大使館へ送り届ける。そして書き溜めていた、公開すれば大スクープになる原稿を破り捨てる。
すべてを捨てて突っ走る愛もあるけれど、相手の立場を思い、自分の立場を考え、踏みとどまる愛もあるのだ。
束の間の青春、束の間の恋。ふと思い出したのは、やはりアメリカ映画の『マディソン郡の橋』だ。
舞台はアイオワ州マディソン郡の片田舎。農場主の妻として平凡に暮らすフランチェスカ(メリル・ストリープ)の前に、屋根つき橋の写真を撮り歩いているというカメラマンの男が現れる。彼の名はロバート(クリント・イーストウッド)。
彼女はローズマン橋まで道案内をするが、自由で都会的な雰囲気を持つその男に夫にはない魅力を感じ、たちまち恋に落ちる。夫と子どもは遠出をして家を留守にしていた。彼らが帰ってくるまでの四日間、ふたりは互いが互いにとってなくてはならない存在であることを確かめ合う。
最後の夜、ロバートは「一緒に行こう。ふたりで新しい世界をはじめよう」と言い、荷物をまとめたフランチェスカだったが、葛藤の末に「やはり家族を捨てることはできない」と思いとどまる。
十数年後、ロバートは彼女に告げた「これは生涯にたったひとつの確かな愛だ」の言葉どおり、独身のまま死ぬ。フランチェスカもまた、短いが激しい恋を胸に抱いて死んでいく。
「あれほど盛り上がったのに、どうして」と言う人もいるが、私はフランチェスカがロバートについて行かなかったところにこそ、リアリティを感じる。
彼女は「夫を裏切り、子どもを捨てて出て行くことはできない」と涙を流し、愛しい男をあきらめる。それは家族に対する責任、自分が選択した人生に対する責任を果たすためであるが、それだけではない。
彼女にはわかっていたのだ、すべてを捨て去ることができるほど自分はもう若くないということを。この新しい愛に走っても本当の幸せは得られない。どんな愛も永遠にはつづかないのだということを。
まったく別の生き方をしてきたふたりがずっと一緒に生きていくことができるとは、彼女には思えなかった。もしかしたら、
「こんなに愛し合うことができたのは、四日間という期限付きだったからなのかもしれない」
とさえ思いはじめていたかもしれない。
人はときに、その悟りにも似た悲しい予感を組み伏すことができない。燃えるような恋の真っ只中にあろうとも。
どしゃ降りの雨のラストシーン。
町に買い物に出たフランチェスカと夫が乗る車の前に、信号待ちをするロバートの車。信号はやがて青に。しかし、前の車は動かない。ロバートの最後の誘いだ。
早く行け!とクラクションを鳴らす、なにも知らない夫。前車のバックミラーには彼女が贈ったネックレスが掛けられ、揺れている。たまらず、ドアに手をかけるフランチェスカ。
しかし、彼女は自分の心に強力なブレーキをかけた。この農場用ピックアップトラックに残ること、すなわち「この町で農夫の妻として退屈に生きること」を最終的に選ぶのだ。
左のウィンカーを出し、ゆっくりと動き出す前車。そのライトの点滅はすべてを悟ったロバートのフランチェスカへのエール、彼女の選択を祝福するサインだ。そして、ロバートは町を去る。
「男はロマンチストで、女は現実的」
とよく言われる。実際に男と女のあいだにそういう傾向があるのかどうか、私にはわからない。しかし、この物語の中ではそう描かれている。
「現実的」とは、手離してはならないものがなんであるかをいかなるときにも見誤らない聡明さ、喪失の恐怖と闘う勇気を持っているということ。
「ありのままに」「自分に正直に」あることがなによりも尊いことであるかのように言われる昨今だが、思いを遂げようとするよりもっと崇高な決断もある。
そして、愛に報いるとはどういうことか。
宮殿に戻ったアン王女がローマを離れる前の記者会見で、ヨーロッパ各国を表敬訪問した中でもっとも印象に残っている都市は?と訊かれる。
どの街もそれぞれに……と当たり障りのない言葉を口にしかけて、答えを変える。
「なんと言ってもローマです。私はここでの思い出を生涯忘れることはないでしょう」
その凛とした表情に、大切な恋を胸に、王位継承者として生きていくという決意が見てとれる。
ふたりが結ばれればハッピーエンドで、結ばれなければ悲恋、ではない。
それを決めるのは、夢のような時が過ぎたあとどう生きたか、だと思う。
【あとがき】
ほかの若い同僚に『ローマの休日』を知っているかと訊いたら、「もちろん知ってますよ、ハコネーゼでしょ」だって……(ガクッ)。