三十年目の気づき

三十年目の気づき


しゃくりあげる自分の声で目が覚めた。枕の冷たい感触で現実に戻ったあとも、涙はしばらく止まらなかった。
夢の中でも置いて行かれるのは私なのね。

なぜ唐突に彼の夢を見たのか、理由はわかっている。
フェイスブックでつながっている共通の知人から新年のあいさつが届き、否応なしにあの頃のことを思い出したところに、貴乃花さんの「独占告白 初恋の人と奇跡の再会を果たすまで」というネット記事を読んだからだ。
貴乃花さんが十代の頃に付き合っていた人と再婚したことはこのあいだニュースになっていたが、その女性との出会いから別れ、そして再会までが詳細に語られていた。

ただの再会なら三十数年ぶりとはいえ、奇跡というほどでもないだろう。ずっと音信不通だったとしてもいまどき連絡先を知る方法はいくらでもある。けれども、五十歳を過ぎて再会したときどちらも独身だった、ということはそうそうないんじゃないだろうか。
そりゃあ運命を感じるよね、なんてことを思ったのが頭に残っていたんだろう。



いまだに完結しない恋がある。終わらない夢を見続けているような気がしてならない。

白和えを作ってあげる約束のこと思い出す別れたあとで

俵 万智『チョコレート革命』

洋風の料理ばかり作る俵さんに、あるとき恋人が言った。
「たまには白和えとか、食いたいなあ」
「じゃあそのうちにね」と答えたけれど、先に別れが訪れた。
「いまとなってはもうなんの意味もない約束。だけど、私がこうして思い出すことがあるように、彼もまた白和えを食べるとき、なにかしら心が揺れたりはしていないだろうか……」

「白和え」は私の中にもある。
大学卒業と同時に遠距離恋愛になった。大阪を発つ直前、彼は言った。
「二年、待ってな。迎えに来るから」
難波のえびす通りのファーストキッチン、二階窓際のあの席で。
だからその場所を通ると、MA-1を着た二十二歳の男の子がよみがえる。そして、果たされなかった約束に鈍痛を覚えるのだ。
私はずっとそんな自分にあきれていた。いったいいつまで引きずっているつもり、バッカみたい。

でも今日、ふと思った。
三十年かかっても忘れられなかったのだから、この先もたぶん無理だ。だったら観念して、その未練も自分の一部だと受け入れるしかないんじゃないか。
もう二度とふたりの人生が交わることはない、とはいまでも思えない。一方で、彼と私のあいだに“奇跡の再会”はないこともわかっている。この矛盾を抱えながらも、私はちゃんと地に足をつけて生きてきた。あれからも恋をし、子どもを育て、一生の仕事を見つけ、私は幸せに暮らしている。心の奥底にいる彼に人生の足を引っ張られたことはない。
……あれ。もしかして、忘れなきゃならない理由なんてないんじゃないの?

という境地にようやく達した。長い長い道のりだったけれど。
キラキラの記憶を断捨離することはない、大事に引き出しにしまっておいたらいいよね。
でもさ、夢の中くらいハッピーエンドがよかったなあ。初夢だったし……。


【あとがき】
今、BSテレビ東京で再放送している『冬のソナタ』を見ているのですが、登場人物は十年とか数十年というレベルで昔の恋を忘れられずにいる人だらけ。それはドラマや映画や歌のテーマにしょっちゅうなるし、ありふれたことなんでしょうね、きっと。みんな、そういう思いは胸にしまっているからわからないだけで。