「昆虫を食べる」について考えた

「昆虫を食べる」について考えた


入浴介助を終えてナースステーションに戻ってきたら、何人かが集まってなにやら騒いでいる。
どうしたのかと思ったら、床に大きなクモが一匹……とその後ろから虫駆除スプレーを構える同僚が。
「えっ、クモは益虫だから殺しちゃだめって言わない?人にはなんにもしないから、放っておこうよ」
と言ったら、「こんなんがどこかに潜んでると思ったら、気持ち悪くて仕事できん」と一蹴されてしまった。
が、彼女はそう言いながら、完全に腰が引けている。しかも、「私、ほんまに虫あかんねん。この缶を触るだけでも寒イボが出る」とそれを指でつまむように持っているものだから、ちゃんとスプレーが出ない。

と、そこにドクターがふらりと現れた。
「あらっ、先生、ちょうどいいところに!」
まるでクモに捕まった獲物みたいに、ドクターはあれよあれよという間にスプレー缶を握らされたのだった。



ところで、同僚が汚いもののようにスプレー缶を持つのを見て、思い出したことがある。
私が小学生のときに使っていた「ジャポニカ学習帳」。表紙は昆虫や動物、植物の写真だったが、現在は昆虫シリーズがない。
「虫が気持ち悪くてノートを持てないと子どもが言っている」
「虫が表紙だと、授業中にノートを閉じることができないので困る」
という声が親や教員からあったためだ。
「授業や宿題でお子さんがノートを使う機会は多いです。学校の先生もノートを集めたり添削したりと目に触れる機会は多い。そんな商品だからこそ、嫌だと感じる人がいるのであればやめようということになりました」
とメーカーの弁。
同僚がスプレー缶に描かれた害虫のイラストに触れなかったように、昆虫が苦手な子どもや先生もノートの表紙が目に入るたび、どきっとしたんだろう。

とはいえ、ノートを使えないほど嫌悪するというのはちょっと度が過ぎるんじゃないかなあ。だってムカデやゴキブリや毛虫の写真ではないのだ。
この件がニュースになったとき、昆虫嫌いの子どもが増えたのは都市化が進み、それに接する体験が減ったためと言われていたが、たしかにそれは大きいと思う。
私も昆虫は全般的にだめ。昆虫恐怖症ではないかと思ったこともあるほどだ。しかし、子どもが夏休みの自由研究で昆虫の羽化を観察するのを嫌々いっしょに眺めているうちに、アゲハチョウの幼虫がこりこりとユズの葉を食べたりセミの幼虫がのこのこ網戸をのぼったりする姿を「かわいい」と思うようになった。羽化の瞬間は羽がちゃんと伸びきるか、祈るような気持ちで見守った。
そしてそれからは、庭の木に青虫を見つけても子どもがセミの抜け殻を集めてきても、「うわっ」と声をあげることはない。
小さな命も懸命に生きているんだとわかったら、なにも悪さをしないのに「虫」というだけで“退治”するなんてできないだろう。

なあんて、えらそうには言えないのだけれど。
私は昆虫アレルギーを克服したわけではなく、こちらを刺したり噛んだりしない昆虫については目にしても動揺しなくなったというだけ。あいかわらず触ることはできないし、ましてや「食べる」なんて到底無理だ。
初めて中国に行ったとき、北京の夜市でイモ虫、セミトノサマバッタといった昆虫の串揚げがあちこちの店で売られていることに仰天した。
若い人たちがふつうに食べている。あの羽は口の中できしゃきしゃしないんだろうか、それともエビフライのしっぽみたいに残すんだろうか……。とても気になったが、咀嚼しているところは直視できなかった。

そんなだから、最近話題のコオロギも私は食べない、食べられない。
同僚が「話のタネに」と無印良品のコオロギせんべいを買ってきたときも、私は遠慮した。「昆虫を食べる」ことへの心理的ハードルは相当高い。
けれども、
「コオロギ食に正義なんか、なに一つ一ミリもないです。本当、コオロギ食のベンチャーとか社会的にまったく価値がない」(堀江貴文さん)
とは思わない。
三十年後、世界の人口は現在の七十六億から九十八億になる。それだけの人口を養うにはいまの一・七倍の食料が必要となるが、国際連合食糧農業機関(FAO)は温暖化による異常気象や食料を増産するための農牧地の不足により地球規模の食料危機が起きる、とくに既存の畜産業と漁業ではタンパク質の供給が追いつかなくなると予測。その解決策のひとつとして、クモやサソリを含めた昆虫類を食用にしたり家畜の飼料にしたりすることを推奨している。
抵抗感はいったん横に置いて、FAOの報告書の内容をじっくり読んだら、トンデモなアイデアなどではないと思った。
タンパク質が豊富で、家畜と比べるとエサや水が圧倒的に少なく済み、温室効果ガスの排出量も少ない。となれば、“持続可能な次世代のタンパク源”として昆虫が注目されるのは自然のなりゆきであろう。なぜコオロギなのかについてもすんなり納得できた。

「昆虫食の前に食品ロスの対策をすべき」
という声も聞かれるが、そうだろうか。
先進国では大量の食品が廃棄されているのに、途上国では飢えに苦しむ人がたくさんいる。この「食の不均衡」の解消に取り組むこと、すなわちいまある食料を余すことなく利用することと新たなタンパク源の開拓はどちらも必要で、同時に進めていくべきだと私は思う。
日本には一部の地域を除いて昆虫を食べる文化がない。そこに降って湧いた話だから「気持ち悪い」が先に立ってはねつけられている感があるが、中国だったらまた違った反応がみられるかもしれない。
しかし、環境保護や飢餓問題の観点から菜食生活を実践している人がいるように、「なぜいま昆虫なのか」を知ったら日本でも関心を持つ人は出てくるだろう。味はよいみたいだし。
あなたは昆虫の食用についてどう考えますか。


【あとがき】
◎ 高タンパクでミネラル豊富、かつ可食部が多いため廃棄が出にくい
(生の状態100gあたりのタンパク質含有量は牛19〜26gに対しコオロギ8~25g、バッタ35〜48g)
◎ ライフサイクルが短く、繁殖率が高い
(コオロギは約35日で成虫になる)
◎ 飼育生産に広大な敷地や大量のエサ、水を必要としない
(タンパク質1kgを生産するのに必要な飼料は牛10kg、豚5kg、コオロギ1.7kg)
◎ 飼育生産にかかる環境負荷が少ない
(タンパク質1㎏あたりの温室効果ガス排出量は牛2.8kg、豚1.1kg、コオロギ0.1kg)

細かい数字は参考資料によって多少違いますが、これが昆虫が次世代のタンパク源として期待される理由。
とくに「コオロギ」が注目されているのは、他の昆虫と比べて成長が早く生産効率がよいこと、特定の葉しか食べない蚕やイナゴなどと違って雑食性のため廃棄する食品をエサにできること、「陸のエビ」と呼ばれるほど味がよいこと、だそうです。