「結婚は○○だ」の○○に言葉を入れるとしたら。

「結婚は○○だ」の○○に言葉を入れるとしたら。


ばたばたしていて、昼休みに入るのが三十分遅れた……のはいいのだが、休憩室のドアを開けて、しまったと思った。先輩のA子さんがまた「オッサン、オッサン」と連呼している。
オッサンとは彼女の夫のこと。彼がいかに不快でストレスを与えてくる存在であるかを、A子さんはお弁当を食べながらしょっちゅうみなに話して聞かせるのだ。
ひそかに「ジャイアンリサイタル」と呼ばれているそれが始まると、私は「歯磨きしてこようっと」「記録ができてないからお先に」などと言って仕事に戻ることにしている。でも、今日はそれができない。

自分で言うのもなんだが、私は人の話を聴くほうだと思う。
興味のない話だと上の空なのが見て取れる人がいるが、もちろんそんなことはしない。自慢話やのろけ話でも「マウント取ってんの?」なんて思わず、ちゃんと相槌を打つ。
しかしながら、パートナーの悪口だけは別。
「あなたにとってはデトックスなんだろうけど、その毒を浴びるこっちは……」
と心底うんざりする。
以前、サークルの創立記念パーティである男性に十年ぶりに再会したら、離婚調停中だという。彼は妻がいかに思いやりがなくわがままで話の通じない相手であるかをとうとうと語り始めた。
「もうちょっとわかってくれてもいいと思うんだけどね。自分さえよければって人だから、しかたないのかな。でも悲しくなっちゃうよ」
しかし、「大変だね」と声をかける気にはならなかった。
まるで似つかわしくない場でこんな大勢の前で夫婦関係を披露して。あなたも自分のことしか考えていないじゃないの。

「私は貧乏くじを引いたからさあ」
とA子さんが言うのを聞いて、ふと思い出した。
オードリーの若林正恭さんが自分みたいな人間が結婚してもいいんだろうかとプロポーズをためらっていたとき、世間話もするかかりつけのドクターに「結婚はくじ引きです」と言われたという。
別れるときは別れるし、幸せになるときは幸せになる。どうなるかは引いてみないとわからない、と。が、まだつづきがあった。
「ただ、末吉を大吉にできるくじ引きです」
引いたときは末吉でも、大吉になる可能性を秘めたミラクルなくじ引き。それで若林さんは決心がついたそうだ。
A子さんが引いたのは最初から「貧乏くじ」だったんだろうか。



「結婚は○○だ」の○○に入れる言葉は人によっていろいろだ。
よく耳にするのは「結婚はバクチ」。
人は結婚生活によって幸せにも不幸にもなるから、伴走者選びは人生を懸けた賭けである、と。私はそんなに大げさに考えたことはないけれど、まあ一理ある。
結婚は運ゲーだ、という人もいる。結婚前に知れることより生活を共にする中でわかることのほうがずっと多い。それが吉と出るか凶と出るかは運次第……。ふむ、わからないではない。
「結婚は人生の墓場」はもはや慣用句になっている。これだけ離婚が多いご時世である、そう感じている人は一定数いるんだろう。
「だんなは妻と子どもと家のローンという人生の三大不良債権を背負うハメになる」
「結婚は百害あって一利なし」
ドラマ『結婚できない男』の四十歳独身の主人公、桑野信介もこう言っていたもんねえ。

一方で、違和感があるのは「結婚はガチャ」だ。
高齢の女性患者さんから「結婚式の日に初めて夫の顔を見た」という話を聞いたことがある。そんなふうに親が決めた許婚とするしかなかった時代の結婚ならそうかもしれない。
でも、いまは結婚するもしないも誰とするかも個人の自由。自分で相手を選んだのにガチャと言うのか。
パートナーが病気になったり浮気をしたりリストラされたり義父母が常識のない人たちだったり。結婚後のトラブルやリスクはたしかに“選べない”。
しかし結婚するとは、この先なにが起きても引き受ける覚悟を持つということではないんだろうか。結婚前にはわからなかった、こんなことは予測できなかったとガチャを持ち出してくるのは違う気がする。
親ガチャはあっても夫ガチャや妻ガチャはない、と私は思う。

さて、私が○○を埋めるとしたら。
恋愛には興味がないし、子どももいらない。でも「既婚者」の肩書きがほしいと婚活をしていた知り合いがいる。親や親戚からの圧も鬱陶しいが、職場などで「結婚できない人」という目で見られるのが耐えがたいのだと言っていた。
「『独身』からいっぺん卒業できれば。バツがついたってぜんぜんかまわない」
そういう理由で結婚を望む人がいることに驚いたけれど、たしかにそれは「既婚」というステータスをくれる。
そして、私自身も妻、母、嫁という“ポスト”を得て、ひとりでいたら一生接点はなかったであろう人たちと出会い、未知の世界に飛び込んだ。
私の未来は変わったと思う。
だから、私にとって結婚は人生で最大の「キャリア(経歴)」かな。


【あとがき】
結婚は縁のものだと思っています。どんなに好きでも結婚に至らなかった人は縁がなかった。逆に、のちに別れることになったとしても一度は夫婦になったということは縁のある人だったのだと思う。
縁は「運命」とちがって流動的なものだから、一生安泰を保証してはくれません。夫婦仲は双方がそのための努力をしつづけることで維持できるのだと思います。



欲しいのはオンとオフ

欲しいのはオンとオフ


昨春、病院勤務から訪問看護に移った友人がもう転職を考えているという。
ステーションが二十四時間体制をとっているため、月に五、六回オンコール当番が回ってくる。それが苦痛でたまらないらしい。
「いつ呼ばれるかわからないと思ったら、気が休まらない」
「お酒も飲めないし、遠出もできない。休日が休日にならない」
とこぼすのを聞きながら、そうだろうなあと頷く。

私は看護学生時代、高齢者施設で介護士として夜勤のアルバイトをしていた。
二十時から翌朝八時までスタッフは私一人。入所者が転倒したり体調に異変があったりすると当番の看護師に連絡して対応を確認しなくてはならないのだが、露骨に不機嫌な声を出された。痰の吸引のために夜中に来てもらうこともあったが、そりゃあ嫌みを言われたものだ。
「そんなに不服なら、オンコールのないところで働いたらどうです?」
が喉まで出たっけ。
家でくつろいでいるときに職場から電話がかかってくるほどうんざりすることはない。布団に入っていたらなおさらだ。でもオンコール手当をもらっているからには、それはあなたの仕事だ。

だから私がこの先、オンコール勤務のある職場に勤めることはないだろう。
私はオンとオフはきっちり分けたいタイプ。出勤の日はどんなにハードでもかまわない。残業は厭わないし、夜勤だっていくらでもする。そのかわり、病院を一歩出たら完全に仕事から離れたいのだ。
同僚から、
「コールセンターの健康相談業務のバイトやらない?めっちゃ時給いいよ」
「有料(老人ホーム)の寝当直のバイトがあるんだけど、どう。仮眠8時間だよ」
と誘われることがあるが、いつも断っている。どんなに割がよくても休日をつぶす気にはならない。

先日、三年ぶりに大学時代の友人と会ったら、少々ふくよかになっていた。
けっして不躾な視線を送ったわけではないのだけれど、「言いたいことはわかってるで」と彼女。コロナ禍でリモートワークになって、五キロ太ったんだそう。
「通勤がなくなったら、私の生活から運動ってものが消滅した。なのに三食きちっと食べて間食までしてたら、そりゃあねえ……」
とあきらめ顔だ。
「通勤時間ゼロか、いいなあ」と思っていたが、出社するだけでそれなりに運動になっているんだなあ。それに会社ではお菓子を食べながら仕事をするわけにはいかないから、カロリーオーバーにもなりにくい。
別の友人も一時期リモートワークをしていたが、
「家だとついスマホを触ったり猫をかまったりして、集中できないんだよね。で、だらだら長時間仕事をすることになる」
「オンラインミーティングがある日以外はスウェットのままで化粧もしないから、生活がだらしなくなっちゃった」
と言っていた。
こんな話を聞くと、私も在宅勤務は無理だなあと思う。
自己管理の問題とはいえ、仕事がプライベートを侵食するのもプライベートが仕事を侵食するのもイヤである。それにやっぱり太りそうだし……。

情報メディア「エラベル」が十代から七十代の男女千二百人あまりに「大人のなりたい職業」アンケートを行ったところ、第一位はWebライターだったという。

「自宅でできる」「場所や時間に縛られない」を理由に挙げた人が多かったそうだ。
この趣味を二十年以上つづけているくらいだから私も書くことは好きであるが、それを仕事にしたいとは思ったことがない。
作家のエッセイを読んでいると、「〆切りが迫っているのにどうしても書けない」という話によくお目にかかる。食事の支度をしていても犬の散歩をしていても「早く済ませて原稿を書かないと……」があたまから離れずいつもいらいらしている、なんて書いてある。
期日までになんとしても形にしなくてはならないのはライターも同じだろう。オンオフの切り替えなどと言っていられない生活を想像するだけで、酸欠になりそうだ。

いまの私のワークライフバランスは仕事6にプライベート4というところ。仕事はきついが、家に帰ればスイッチオフで、休日もきちんともらえているから問題なし。
私には「場所や時間に縛られる」働き方が合っている。


【あとがき】
そうは言っても、家で研修や発表の資料をつくったり委員会の仕事をしたりはしょっちゅうしていますけどね。勉強もしないといけないし。でもそういうのは、この仕事をしているからにはと割り切れます。
私が無理なのは、勤務時間外の呼び出し。居宅のケアマネをしている知人が、利用者やその家族からの電話を二十四時間受けなくてはならずいつ何時も社用携帯を手離せないと言っていましたが、これは私には耐えがたいストレスです。
ちなみに、私はシフト表をもらって夜勤が4回だと「少なっ」と思いますが、友人は「うわ、4回もある……」とため息をつきます。好きな働き方っていろいろですね。